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ちょういし
町石 (20町)
道標として、等間隔に建てられた石塔で、鎌倉時代のもの。
町石については別のページにまとめました。
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町石
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43番
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一の橋2~
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町石
せんしゅう きしわだ おかべけ ぼしょ
泉州 岸和田 岡部家墓所 (1)
泉州は今の大阪府和泉市。
泉州 岸和田 岡部家墓所は奥の院にもう1つあります。
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大名
えざきぐりこかぶしきがいしゃ ぼしょ
江崎グリコ株式会社墓所
江崎グリコの創業者、江崎利一(えざきりいち)と、従業員物故者の墓。
墓石の家紋の部分がグリコのランナーのマークになっています。
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企業
8だいしょうぐん よしむねこうのぼしょ
八代将軍吉宗公之墓所
2015年もしくは2016年に「八代将軍吉宗公之墓所」の表示が掲げられました。
それ以前は、葵の御紋が描かれたものは置かれていました。
なぜ「大川家の墓」の場所にこの表示があるのか不明です。
この墓に問合せ先の電話番号も掲示されています(が、問い合わせていません)。
2枚目の写真は、昭和52年(1977年)9月に撮影したもの。同じ場所で撮影したものかは不明です。
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大名
人物
こうぼうだいし ごそんぞう
弘法大師 御尊像
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たかまつ まつだいらけ ぼしょ(きょうごくけ)
高松 松平家墓所(京極家)
高松松平家の表示がありますが(2015年時点)、これは間違いで正しくは京極家の五輪塔とのことです(情報元[1])。
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大名
ちょういし
町石 (21町)
道標として等間隔に建てられた石塔です。
町石については別のページにまとめました。
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町石
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町石
まんしゅうこうやかいたくだん ぎせいしゃのひ
満州高野開拓団 犠牲者之碑
昭和29年(1954年)3月21日建立。満蒙開拓団として参加し旧満州国から引き揚げるまでの間に亡くなられた方々のための碑。
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大戦
ただのみつなか ぼしょ
多田満仲 墓所
源満仲(みなもとのみつなか)とも。平安時代中期の武将。
供養塔は全国7ヶ所ほどにあるようです。
また、夏目漱石は源満仲の弟の末裔とのこと。
(情報元:wikipedia)
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人物
しんしゅう まつもと みずのけ ぼしょ
信州 松本水野家 墓所
水野家の墓所は奥の院内に4、5ヶ所あるようです。
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きしゅう しょだいはんしゅ とくがわよりのぶ ぼしょ
紀州 初代藩主 徳川頼宣 墓所
徳川家は日蓮宗だったので、密教の五輪塔は使わなかった可能性があるとのことです(情報元[1])。
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人物
じゃやなぎくようとう(じゃやなぎあと)
蛇柳供養塔(蛇柳跡)
弘法大師が大蛇を封じ込めたとされる場所。
参道から見えない場所にあります。
参道ではなく、国道371号線の歩道の石垣が途切れている場所から入ったほうが分かりやすいです。
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四国八十八ヶ所霊場の本尊
四国のお遍路88ヶ所をめぐったのと同じ御利益があるとされる場所。
四国のお遍路88ヶ所のお寺の本尊と同じ仏様が並んでいます。
国道371号線の歩道の石垣がところどころ切れていますので、そこから入ることができます。
計測していませんが往復1kmほどになるかと思いますので、すべて歩くのには時間がかかります。
テレビ番組で「裏ルート」と紹介されたことがあるこの通りは、Googleマップ上では「玉川通」と記載されています。
(情報元[4])
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その他
まいにちしんぶんしゃ5だいしゃちょう もとやまひこいちのはか
毎日新聞社5代社長 本山彦一の墓
大阪毎日新聞社の元社長。「松蔭翁三十三回忌」と刻まれた碑が立っていますが、本山彦一の号が「松蔭」だったようです。
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人物
かずとりじぞう
授籌地蔵
奥の院を通った回数をカウントしてくれている地蔵。
死後、閻魔大王のところで「この人は、○回も奥の院に来ているから罪を軽くしてあげてください」と言ってくれるのだそうです。
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しんしゅうすわけ ぼしょ
信州 諏訪家墓所
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大名
ひぜんなべしまけ ぼしょ
肥前 鍋島家墓所
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おうしゅうなんぶけ ぼしょ
奥州 南部家墓所 (1)
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ほっかいどう まつまえ まつまえけ ぼしょ
北海道 松前 松前家墓所
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たけだしんげん・かつより ぼしょ
武田信玄・勝頼 墓所
武田信玄とその息子、武田勝頼の墓所。
石門の奥に並んでいる苔むした2つの墓です。左の大きいほうが信玄、右の小さい方が勝頼の供養塔です。
武田信玄のほうは最初に3回忌のときに建てられたそうです(情報元[1])。
上段の写真は2012年、下段は2016年撮影。
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人物
ちょういし
町石 (22町)
道標として等間隔に建てられた石塔です。
町石については別のページにまとめました。
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町石
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こうぼうだいしのこしかけいし
弘法大師の腰掛け石
弘法大師が休憩のため腰をかけたといわれている石。
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きしゅうとくがわけ7だい むねのぶぼしょ
紀州徳川家7代 宗将墓所(紀州徳川家 供養塔)
紀州藩の第7代藩主、徳川宗将(とくがわむねのぶ)墓所。
紀州家は五輪塔を立てていないそうです。
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人物
ばんしゅう ひめじ さかいけぼしょ
播州 姫路 酒井家墓所
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大名
うえすぎけんしん れいびょう
上杉謙信 霊廟
重要文化財。
上杉謙信、景勝の廟で、桃山建築の影響を受けているとのこと。中に位牌が入っているそうです。
この場所からは見えませんが、武田信玄の墓と向い合せの位置関係で建っています。(情報元[1])
2017年7月4日から2018年3月31日までの期間をかけて檜皮葺き替え工事が行われました。写真は2017年の工事前に撮影したものです。
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人物
よどどの(ちゃちゃ)・とよとみひでより
淀殿(茶々)・豊臣秀頼
上杉謙信の霊屋から左にすすむと崩れている五輪塔があります。
右側が豊臣秀吉の側室である淀殿(茶々)、左側が豊臣秀吉の3男である秀頼の墓。ガイドマップにも載っていません(2015年現在)。(情報元[1])
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人物
きしゅうとくがわけ みつさだ つなのり よりもと むねなお ぼしょ
紀州徳川家 2代光貞 3代綱教 4代頼職 6代宗直墓所
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大名
人物
すおう いわくに よしかわけ ぼしょ
周防 岩国 吉川家 墓所
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ひぜん ひらど まつうらけ ぼしょ
肥前 平戸 松浦家 墓所
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じょうしゅう たてばやし さかきばらやすまさ ぼしょ
上州 館林 榊原康政 墓所
上州は今の群馬県。
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人物
あわ とくしま はちすかけ(はちすかころく)
阿波 徳島 蜂須賀家(蜂須賀小六)
中央の大きい五輪塔が蜂須賀小六の孫、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)の墓。
蜂須賀小六の墓は右側にある小さいもの。五輪塔ではなく、宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
以前は鳥居もあったそうですが、2000年頃の台風で崩壊したとのことです(情報元[1])。
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人物
こばやかわたかかげ・といだのおおかた
小早川隆景・問田大方
一番右側とその隣が、小早川隆景夫婦の墓。ガイドマップに載っていません。
右(定延家累代之墓の奥)が、小早川隆景。
左(池田家と書かれたものの奥)が正室である問田大方(といだのおおかた)。(情報元[1])
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だてまさむね ぼしょ
伊達政宗 墓所
伊達政宗一周忌のときに立てられた五輪塔。この五輪塔の周囲には後を追って殉死(切腹)した20人の墓があります。20人もの殉死の墓があるのは奥の院では珍しいとのこと。
奥の院内に伊達家は2ヶ所あります。
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人物
とっとり いけだけ ぼしょ
鳥取 池田家墓所
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大名
いいかもんのかみ れいおく(いいなおすけ ぼしょ)
井伊掃部頭 霊屋(井伊直弼 墓所(廟))
井伊直弼の霊屋。「掃部頭」は井伊直弼の官位の名称です。
見つけづらい場所にあります。
「中之橋霊園 この先200m」の看板の近く、参道左側です。
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人物
さがみ おだわら おおくぼけ ぼしょ
相模 小田原 大久保家墓所
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大名
おおさかし ろうじんくらぶれんごうかい くようとう
大阪市老人クラブ連合会 供養塔
一般社団法人 大阪市老人クラブ連合会の供養塔。
1962年頃から毎年、法要を行っているようです。
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その他
びんごふくやま みずのけ4だい かつたね ぼしょ
備後福山 水野家4代 勝種墓所
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ほりおよしはる
堀尾吉晴
豊臣秀吉の「三中老」という役職についたうちの一人。
海軍整備科の碑の奥にある古い五輪塔です。
堀尾吉晴は中央のもの。両脇のは2代目、3代目のもの。
堀尾家と仲の良かった山内一豊の五輪塔が近くにあります。元々、周囲に柵があったものが今は無くなっているとのことです(情報元[1])。
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人物
かいぐんせいびか よびれんしゅうせい きねんのひ
海軍整備科予備練習生記念之碑
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大戦
こうぼうだいし ごまばち (こうぼうだいし ごまいし)
弘法大師 護摩鉢 (弘法大師 護摩石)
この写真の中央(建っている碑の左下)にある白い石です。
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その他
ふくおかけん ろうじんくらぶれんごうかい くようとう
福岡県 老人クラブ連合会 供養塔
公益社団法人 福岡県老人クラブ連合会の供養塔。
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一の橋4 ~ 合流地点まで
合流地点~御廟橋まで
中の橋大駐車場~合流地点まで
石畳の参道からはずれた場所
御廟橋 ~ 御廟
エリア別に一覧を掲載していますが、参道での配置の順番どおりに一覧化したものではありません。
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人物
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町石(奥の院内)
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