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高野山かなり完璧ガイド

ちくご やながわ たちばなけ ぼしょ
筑後 柳河 立花家 墓所

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おうしゅう せんだい だてけ ぼしょ
奥州 仙台 伊達家墓所(伊達家2代目)

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いよ うわじま だてけ ぼしょ
伊予 宇和島 伊達家墓所

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かが まえだけ ぼしょ
加賀 前田家墓所

前田利家を藩祖とする加賀藩の墓所。


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さつま しまづけ ぼしょ
薩摩 島津家墓所

島津家は奥の院内に計3ヶ所あり、そのうちの1箇所。
島津斉彬は島津家28代目です。

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おかやま いけだけ ぼしょ
岡山 池田家 墓所

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おかやま つやま もりけ ぼしょ
岡山 津山森家 墓所

森蘭丸とは兄弟にあたる森忠政(もりただまさ。森左近衛中将忠政)によって立藩されたのが津山藩。
元々、柵がありましたが今は無くなっています。
すぐとなりに「森中将忠政墓所」があります。

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もりちゅうじょう ただまさ ぼしょ
森中将 忠政 墓所

森左近衛中将忠政とも。森蘭丸とは兄弟です。

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やまぐち もうりけ ぼしょ
山口 毛利家 墓所

周防、山口の毛利家。

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うご あきた さたけけ ぼしょ
羽後 秋田 佐竹家 墓所

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ありまけ ぼしょ
有馬家 墓所

筑後(福岡県)の有馬家の墓所。奥の院内に有馬豊氏の墓がもうひとつ別にあります。

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むさし いわつき おおおかけぼしょ(おおかえちぜんのかみ)くようとう
武蔵 岩槻 大岡家(大岡越前守)供養塔

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いよ こうのみちなお ぼしょ
伊予 河野通直墓所

河野水軍で知られる河野氏。右側が河野通直の母親、左が河野通直の墓です(情報元[1])。

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さたけよししげ れいおく
佐竹義重 霊屋

1599年建造。常陸国(茨城県)の戦国大名。
見つけづらい場所にあります。
一の橋の入口から歩いて、2つに分かれた参道が合流する地点の、左側の少し奥まった場所にあります。

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しもつけ おおたわらけ ぼしょ
下野 大田原家 墓所

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せんしゅう きしわだ おかべけ ぼしょ
泉州 岸和田 岡部家墓所 (1)

泉州は今の大阪府和泉市。
泉州 岸和田 岡部家墓所は奥の院にもう1つあります。

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8だいしょうぐん よしむねこうのぼしょ
八代将軍吉宗公之墓所


2015年もしくは2016年に「八代将軍吉宗公之墓所」の表示が掲げられました。
それ以前は、葵の御紋が描かれたものは置かれていました。
なぜ「大川家の墓」の場所にこの表示があるのか不明です。
この墓に問合せ先の電話番号も掲示されています(が、問い合わせていません)。

2枚目の写真は、昭和52年(1977年)9月に撮影したもの。同じ場所で撮影したものかは不明です。

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たかまつ まつだいらけ ぼしょ(きょうごくけ)
高松 松平家墓所(京極家)

高松松平家の表示がありますが(2015年時点)、これは間違いで正しくは京極家の五輪塔とのことです(情報元[1])。

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しんしゅう まつもと みずのけ ぼしょ
信州 松本水野家 墓所

水野家の墓所は奥の院内に4、5ヶ所あるようです。

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きしゅう しょだいはんしゅ とくがわよりのぶ ぼしょ
紀州 初代藩主 徳川頼宣 墓所

徳川家は日蓮宗だったので、密教の五輪塔は使わなかった可能性があるとのことです(情報元[1])。

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しんしゅうすわけ ぼしょ
信州 諏訪家墓所

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ひぜんなべしまけ ぼしょ
肥前 鍋島家墓所

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おうしゅうなんぶけ ぼしょ
奥州 南部家墓所 (1)

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ほっかいどう まつまえ まつまえけ ぼしょ
北海道 松前 松前家墓所

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たけだしんげん・かつより ぼしょ
武田信玄・勝頼 墓所


武田信玄とその息子、武田勝頼の墓所。
石門の奥に並んでいる苔むした2つの墓です。左の大きいほうが信玄、右の小さい方が勝頼の供養塔です。
武田信玄のほうは最初に3回忌のときに建てられたそうです(情報元[1])。

上段の写真は2012年、下段は2016年撮影。

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きしゅうとくがわけ7だい むねのぶぼしょ
紀州徳川家7代 宗将墓所(紀州徳川家 供養塔)

紀州藩の第7代藩主、徳川宗将(とくがわむねのぶ)墓所。
紀州家は五輪塔を立てていないそうです。

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ばんしゅう ひめじ さかいけぼしょ
播州 姫路 酒井家墓所

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うえすぎけんしん れいびょう
上杉謙信 霊廟

重要文化財。
上杉謙信、景勝の廟で、桃山建築の影響を受けているとのこと。中に位牌が入っているそうです。
この場所からは見えませんが、武田信玄の墓と向い合せの位置関係で建っています。(情報元[1])
2017年7月4日から2018年3月31日までの期間をかけて檜皮葺き替え工事が行われました。写真は2017年の工事前に撮影したものです。


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よどどの(ちゃちゃ)・とよとみひでより
淀殿(茶々)・豊臣秀頼

上杉謙信の霊屋から左にすすむと崩れている五輪塔があります。
右側が豊臣秀吉の側室である淀殿(茶々)、左側が豊臣秀吉の3男である秀頼の墓。ガイドマップにも載っていません(2015年現在)。(情報元[1])

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きしゅうとくがわけ みつさだ つなのり よりもと むねなお ぼしょ
紀州徳川家 2代光貞 3代綱教 4代頼職 6代宗直墓所

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すおう いわくに よしかわけ ぼしょ
周防 岩国 吉川家 墓所

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ひぜん ひらど まつうらけ ぼしょ
肥前 平戸 松浦家 墓所

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じょうしゅう たてばやし さかきばらやすまさ ぼしょ
上州 館林 榊原康政 墓所

上州は今の群馬県。

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あわ とくしま はちすかけ(はちすかころく)
阿波 徳島 蜂須賀家(蜂須賀小六)


中央の大きい五輪塔が蜂須賀小六の孫、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)の墓。
蜂須賀小六の墓は右側にある小さいもの。五輪塔ではなく、宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
以前は鳥居もあったそうですが、2000年頃の台風で崩壊したとのことです(情報元[1])。


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こばやかわたかかげ・といだのおおかた
小早川隆景・問田大方


一番右側とその隣が、小早川隆景夫婦の墓。ガイドマップに載っていません。
右(定延家累代之墓の奥)が、小早川隆景。
左(池田家と書かれたものの奥)が正室である問田大方(といだのおおかた)。(情報元[1])

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だてまさむね ぼしょ
伊達政宗 墓所

伊達政宗一周忌のときに立てられた五輪塔。この五輪塔の周囲には後を追って殉死(切腹)した20人の墓があります。20人もの殉死の墓があるのは奥の院では珍しいとのこと。
奥の院内に伊達家は2ヶ所あります。

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とっとり いけだけ ぼしょ
鳥取 池田家墓所

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いいかもんのかみ れいおく(いいなおすけ ぼしょ)
井伊掃部頭 霊屋(井伊直弼 墓所(廟))

井伊直弼の霊屋。「掃部頭」は井伊直弼の官位の名称です。
見つけづらい場所にあります。
「中之橋霊園 この先200m」の看板の近く、参道左側です。

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さがみ おだわら おおくぼけ ぼしょ
相模 小田原 大久保家墓所

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びんごふくやま みずのけ4だい かつたね ぼしょ
備後福山 水野家4代 勝種墓所

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さつましまづけ しょだいいえひさ 2だいひさみつ つなひさ ぼしょ
薩摩 島津家 初代家久 2代光久 綱久 墓所

真ん中の大きなものが島津家久。「4番石」と呼ばれる奥の院で4番目に大きい五輪塔。
島津綱久は2代光久の長男で、父より先に亡くなった人物です。

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とさこうち やまうちけ ぼしょ
土佐高知 山内家 墓所

山内一豊の山内家の墓所。

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あけちみつひで ぼしょ
明智光秀 墓所


明智光秀の墓、首塚、胴塚は全国に8箇所ほどあるそうです。
織田信長の怨念によって、五輪塔を何度立てても割れてしまうという伝承があります。
明智光秀を示す銘文がなく、あくまで伝承で光秀の墓といわれているとのことです(情報元[1])。

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いしだみつなり ぼしょ
石田三成 墓所

石田三成が30歳のときに生前葬をして建てたもの。
天正18年(1590年)当時ではこの五輪塔が一番大きかったとのことです(情報元[1])。

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しんしゅう たかとお ないとうけ ぼしょ
信州 高遠 内藤家墓所

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じょうしゅう たかさき あんどうけ ぼしょ
上州 高崎 安藤家墓所

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いせ つ とうどうけ ぼしょ
伊勢 津 藤堂家 墓所

(墓の写真を撮れておらずすみません)

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かわち たかぎけ ぼしょ
河内 高木家 墓所

河内国丹南藩主の高木家。

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おうしゅう そうまけ ぼしょ
奥州 相馬家 墓所

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ちょうしゅう はぎ ますだけ ぼしょ
長州 萩 益田家 墓所

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ひゅうが おび いとうけ
日向 飫肥 伊東家墓所

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きしゅうとくがわけ 8だいしげのり 9だいはるさだ 11だいなりゆき 12だいなりかつ ぼしょ
紀州徳川家 8代重倫 9代治貞 11代斉順 12代斉彊 墓所

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ちくご くるめ ありまけ ぼしょ
筑後 久留米 有馬家 墓所

有馬豊氏が有名な有馬家の墓所。奥の院には有馬家の墓所がもう一つあります。

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むつ しらかわにほんまつ にわけ ぼしょ
陸奥 白河二本松 丹羽家 墓所

丹羽長重(ながしげ)墓所、丹羽重長(しげなが)の嫡男にあたる人物。
二本松城主。3回忌で建てたもの(情報元[1])。

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でわ しょうないはんしゅ さかいけ ぼしょ
出羽 庄内藩主 酒井家墓所

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いせくわなじょうしゅ ほんだただかつ ぼしょ
伊勢桑名城主 本多忠勝 墓所


右から2つ目の大きなほうが本多忠勝の宝篋印塔。
その左の小さい方が奥様のもの(情報元[1])。

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しんしゅう いいやま さくまけ ぼしょ
信州 飯山 佐久間家墓所

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えんしゅう かけがわ ほうじょうけ ぼしょ
遠州 掛川 北條家墓所

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せんしゅう きしわだ おかべけ ぼしょ
泉州 岸和田 岡部家墓所 (2)

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いよ おおず かとうけ ぼしょ
伊予 大洲 加藤家墓所

うしゅう やまがた もがみよしあきこう ぼしょ
羽州 山形 最上義光公墓所

しんしゅう たかとお とりいけ ぼしょ
信州 高遠 鳥居家墓所

たんば いずし こいでけ ぼしょ
丹波 出石 小出家墓所

ぶんご おか なかがわけ ぼしょ
豊後 岡 中川家墓所

あき あさのけ ぼしょ
安芸 浅野家 墓所


「二番碑」と呼ばれ、奥の院で2番目に大きい石塔。
浅野長晟(ながあきら)夫人だった徳川家康の三女・振姫(ふりひめ)の墓。高齢出産のため、出産の16日後に38歳で亡くなった人物です(情報元[1])。

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まえだとしいえとまつのはか
前田利家とまつの墓


右側(?)が前田利家の宝篋印塔。2010年頃発見されました。
くずれかかっているものが、夫人のまつのもの。
ガイドマップに載っておらず、案内標も立っていません。
まつが100カ日法要をしたとき生前葬をしたそうです。(情報元[1])

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せんしゅう くまとり ねごろけ ぼしょ
泉州 熊取 根来家 墓所

ちょうしゅう もうりけ ぼしょ
長州 毛利家 墓所

いせ かめやま いしかわけ ぼしょ
伊勢 亀山 石川家墓所

びんご ふくやま みずのけぼしょ
備後 福山 水野家墓所

すうげんいん(とくがわひでただふじん)ぼしょ (ごうひめ)
崇源院(徳川秀忠夫人)墓所(江姫)

浅井長政の3女であり2代将軍秀忠の妻である、江(ごう)の石碑。
墓石の高さは6.6m。一番下の基段は畳8帖ぶんの大きさ。
「一番石」「一番碑」と呼ばれ、奥の院で最も大きい五輪塔です。

寛永4年(1627年)、江の1周忌のときに建てたもので、建てたのは弟の忠長。
江の戒名である崇源院殿(すうげいいんでん)と刻まれています(情報元[1])。

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てんじゅいん せんひめ くようとう
千姫 供養塔

豊臣秀頼・本多忠刻の正室、千姫の供養塔。
母親である江の墓の近くにあります。
天樹院は号(本名とは別に使用する名)です。

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えちごむらかみ ほりけ ぼしょ
越後村上 堀家 墓所

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おうしゅう なんぶけ ぼしょ
奥州 南部家 墓所(2)

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まえだとしなが ごりんとう(かが まえだけ くようとう)
前田利長 五輪塔 (加賀前田家供養塔)

「三番石」または「三番碑」と呼ばれ、奥の院で3番目に大きな五輪塔。



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かが まえだとしながふじん ぼしょ
加賀 前田利長夫人墓所

三番碑の向かい側(御廟に向かう方向を見て参道左側)に立っているのが前田利長の奥さんの栄姫(えいひめ)の墓所。織田信長の5女。

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えちぜん ゆうきひでやす れいおく
越前 結城秀康 霊屋

「結城秀康(家康次男)石廟」の表示があります。
重要文化財。 右側が徳川家康の次男 徳川秀康(松平秀康)。左側が母親である、お万の方。
越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で作られており、当初は極彩色だったとのこと。
中には総金箔の石塔が入っているそうです。(情報元[1])

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あき あさのけ3だい あさのゆきなが くようとう
安芸浅野家3代 浅野幸長 供養塔

「2番石」と呼ばれ、奥之院で2番目に大きな五輪塔。
中央が浅野長政。右側が幸長(ゆきなが 2代目)の供養塔。

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かがまえだ 2だいめ としなが ぼしょ
加賀前田 二代目 利長 墓所

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みのかもじょうしゅ まつだいら ただまさ ぼしょ
美濃加茂城主 松平忠政 墓所

奥平忠政(おくだいら ただまさ)とも。
美濃加納藩2代目藩主。

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さがみ みうら むかいけ ぼしょ
相模 三浦向井家 墓所

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あき あさのけ ぼしょ
安芸 浅野家墓所

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とよとみけ ぼしょ
豊臣家 墓所


秀吉の墓は中央の大きいもので、1940年(昭和15年)に奉公会という秀吉を信奉する人々が建てた新しいもの。墓の中には、秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造がおさめられているという言い伝えがあります(情報元[1])。
前面にあるのは、一族の墓です。

「高野山ガイドブック」(金剛峯寺 2015年発行)によると 一族の供養塔や逆修碑は1587年〜1592年にかけて建立されたとあります。
逆修碑(ぎゃくしゅひ)とは生前に建てた碑のことです。

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