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すうげんいん(とくがわひでただふじん)ぼしょ (ごうひめ)
崇源院(徳川秀忠夫人)墓所(江姫)
浅井長政の3女であり2代将軍秀忠の妻である、江(ごう)の石碑。
墓石の高さは6.6m。一番下の基段は畳8帖ぶんの大きさ。
「一番石」「一番碑」と呼ばれ、奥の院で最も大きい五輪塔です。
寛永4年(1627年)、江の1周忌のときに建てたもので、建てたのは弟の忠長。
江の戒名である崇源院殿(すうげいいんでん)と刻まれています(情報元[1])。
音声ガイド
73番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
てんじゅいん せんひめ くようとう
千姫 供養塔
豊臣秀頼・本多忠刻の正室、千姫の供養塔。
母親である江の墓の近くにあります。
天樹院は号(本名とは別に使用する名)です。
音声ガイド
72番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
しかんがっこう いれいとう
陸軍士官学校 慰霊塔
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大戦
えちごむらかみ ほりけ ぼしょ
越後村上 堀家 墓所
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
ばしょうくひ
芭蕉句碑
「父母の しきりにこいし 雉の声」と刻まれています。
元禄元年(1688年)、芭蕉が45歳の時に詠んだ句です。
音声ガイド
74番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
おけしょうじぞう
お化粧地蔵
この地蔵に化粧をするとご利益があるとのこと。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
おおつろうじょうせんししゃついとうひ
大津籠城戦死者追悼碑
1600年の大津城の戦いに関する追悼碑。この戦いのあと京極高次が高野山に出家しています。すぐ近くに京極高次の宝篋印塔があります。
・
大津城の戦い
(Wikipedia)
エリア
合流地点~御廟橋
分類
きょうごくたかつぐ
京極高次
京極高次の宝篋印塔(ほうきょういんとう)。2015年時点でガイドマップに掲載されておらず、案内標も立っていません(情報元[1])
浅井長政の宝篋印塔の近くにあります。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
あざいながまさ
浅井長政
浅井長政の宝篋印塔。案内標もなくガイドマップにも載っていません(2015年現在)。(情報元[1])
赤く塗られたお地蔵さん「お化粧地蔵」が目印です。
「大津籠城戦死者追悼」の奥の木の脇にあります。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
ちょういし
町石 (31町)
道標として等間隔に建てられた石塔です。
町石については別のページにもまとめてあります。
[
町石
]
エリア
合流地点~御廟橋
分類
町石
ぶも おんじゅう ひ(ぶぼ おんじゅう ひ)
父母恩重碑
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
おうしゅう なんぶけ ぼしょ
奥州 南部家 墓所(2)
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
まえだとしなが ごりんとう(かが まえだけ くようとう)
前田利長 五輪塔 (加賀前田家供養塔)
「三番石」または「三番碑」と呼ばれ、奥の院で3番目に大きな五輪塔。
音声ガイド
75番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
かが まえだとしながふじん ぼしょ
加賀 前田利長夫人墓所
三番碑の向かい側(御廟に向かう方向を見て参道左側)に立っているのが前田利長の奥さんの栄姫(えいひめ)の墓所。織田信長の5女。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
えちぜん ゆうきひでやす れいおく
越前 結城秀康 霊屋
「結城秀康(家康次男)石廟」の表示があります。
重要文化財。 右側が徳川家康の次男 徳川秀康(松平秀康)。左側が母親である、お万の方。
越前から運ばれた笏谷石(しゃくだにいし)で作られており、当初は極彩色だったとのこと。
中には総金箔の石塔が入っているそうです。(情報元[1])
音声ガイド
76番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
ほうねんしょうにん えんこうだいし くようとう
法然上人 円光大師 供養塔
浄土宗の開祖、法然。圓光大師とも表記されています。
「円光」は法然の死後につけられた名前=諡号(しごう)です。
音声ガイド
77番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
あき あさのけ3だい あさのゆきなが くようとう
安芸浅野家3代 浅野幸長 供養塔
「2番石」と呼ばれ、奥之院で2番目に大きな五輪塔。
中央が浅野長政。右側が幸長(ゆきなが 2代目)の供養塔。
音声ガイド
78番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
かがまえだ 2だいめ としなが ぼしょ
加賀前田 二代目 利長 墓所
音声ガイド
75番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
よこはま めいりんがくえん・よこはませいふうこうとうがっこう
横浜 明倫学園・横浜清風高等学校
エリア
合流地点~御廟橋
分類
企業
その他
みのかもじょうしゅ まつだいら ただまさ ぼしょ
美濃加茂城主 松平忠政 墓所
奥平忠政(おくだいら ただまさ)とも。
美濃加納藩2代目藩主。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
さがみ みうら むかいけ ぼしょ
相模 三浦向井家 墓所
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
あき あさのけ ぼしょ
安芸 浅野家墓所
音声ガイド
78番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
あみだぶつ みょうごうのひ
南無阿弥陀仏 名号の碑
名号とは、仏や菩薩の名のことを意味します。
「各号の碑」と書かれているように見えますが、「名号の碑」です。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
ふでづか
筆塚
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
たからいきかく くひ
宝井其角 句碑
松尾芭蕉の弟子で「蕉門十哲」と呼ばれるうちの一人、宝井其角の句碑。
「卵塔の 鳥居やけにも 神無月」とあります。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
とよとみけ ぼしょ
豊臣家 墓所
秀吉の墓は中央の大きいもので、1940年(昭和15年)に奉公会という秀吉を信奉する人々が建てた新しいもの。墓の中には、秀吉の衣冠束帯(正装した姿)の木造がおさめられているという言い伝えがあります(情報元[1])。
前面にあるのは、一族の墓です。
「高野山ガイドブック」(金剛峯寺 2015年発行)によると 一族の供養塔や逆修碑は1587年〜1592年にかけて建立されたとあります。
逆修碑(ぎゃくしゅひ)とは生前に建てた碑のことです。
音声ガイド
79番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
大名
人物
おだのぶなが・つついじゅんけい ぼしょ
織田信長 墓所・筒井順慶 墓所
織田信長に仕えた筒井順慶と隣同士になっています。
信長の墓所は全国に20箇所以上あるそうです。
明智光秀の墓からは1kmほど離れています。
信長に仕えた筒井順慶と隣同士になっています。
音声ガイド
80番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
うちゅうあん ちょうけい じゅひ
宇宙庵 長慶壽碑
実業家、吉村長慶の碑。「壽碑(寿碑)」とは、生きているうちに建てた碑のこと。
宇宙庵については
宇宙大神霊
を参照下さい。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
あさのたくみのかみ ぼしょ あこうしじゅうしちしのひ
浅野内匠頭 墓所・赤穂四十七士の碑
音声ガイド
92番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
こうざんおうご しょうにん びょう(もくじきおうごしょうにん れいおく)
興山応其上人廟(木食応其上人 霊屋)
安土桃山時代の僧。「木喰」と表記する場合もあります。
豊臣秀吉の高野山攻めを阻止した立役者です。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
人物
しょうとくでん
頌得殿(茶処)
茶処。休憩所です。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
ごくしょ
御供所
御朱印はこの建物で頂くことができます。
音声ガイド
81番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
あじみじぞう
嘗試地蔵
御供所のすぐ隣にあります。
生身供で弘法大師に届ける食事を毒味する儀式が行われる場所。毒味をするのは僧ではなく、この地蔵ということかと思われます。
生身供については別項で詳しく解説します。
[
生身供
]
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
バリアフリー経路
護摩堂のわきに、公衆トイレへ向かう通路があります。そこを進むと「バリアフリー経路」の看板が見える門があります。
石段を登らずに「燈籠堂」まで向かうことができます。
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
ごまどう
護摩堂
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
みずむけじぞう
水向け地蔵
地蔵に水をかけてから、御廟橋を渡ります。
音声ガイド
82番
エリア
合流地点~御廟橋
分類
その他
エリア別一覧
一の橋1 ~
一の橋2 ~
一の橋3 ~
一の橋4 ~ 合流地点まで
合流地点~御廟橋まで
中の橋大駐車場~合流地点まで
石畳の参道からはずれた場所
御廟橋 ~ 御廟
エリア別に一覧を掲載していますが、参道での配置の順番どおりに一覧化したものではありません。
分類別一覧
(町石)慈尊院 ~ 大門
(町石)大門 ~ 一の橋
大名
企業・団体
人物
大戦関連
町石(奥の院内)
墓・供養塔 以外
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