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高野山かなり完璧ガイド

いちのはし
一の橋

玉川にかかる橋、一の橋。
ここから奥之院の参道が始まります。
この橋の手前側(道路を挟んだ反対側)の観光案内所に、奥之院のガイドマップなどがあります。


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かいぐんだい14き ひこうせんしゅうよびがくせい せんぼつしゃいれいとう (ああ どうきのさくら)
海軍第十四期飛行専修予備学生 戦没者慰霊塔(あゝ同期の櫻)

特攻隊の慰霊塔。
碑に刻まれている「散る櫻 残る櫻も 散る櫻」は、曹洞宗の僧侶、良寛和尚の辞世の句とされているもの。鶴田浩二の歌のタイトルでもあります(1979年/昭和54年リリース)。この言葉は特攻隊の遺書にも記されることが多かったようです。

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つるたこうじ ぼひ
鶴田浩二 墓碑

俳優・歌手であった鶴田浩二の墓碑。1987年(昭和62年)没。
位牌は高野山の大圓院にあります(情報元 Wikipedia)。
鶴田浩二は戦時中に整備士として特攻隊員を見送っており、また歌手として「同期の桜」を歌っていますが、この墓碑のすぐとなりに海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔「同期の桜」の塔があります。

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ちくご やながわ たちばなけ ぼしょ
筑後 柳河 立花家 墓所

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おうしゅう せんだい だてけ ぼしょ
奥州 仙台 伊達家墓所(伊達家2代目)

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いよ うわじま だてけ ぼしょ
伊予 宇和島 伊達家墓所

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かが まえだけ ぼしょ
加賀 前田家墓所

前田利家を藩祖とする加賀藩の墓所。


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しばりょうたろう ぶんがくひ
司馬遼太郎 文学碑

平成20年(2008年)9月建立。
司馬遼太郎のエッセイ『歴史の舞台−文明のさまざま』収録の「高野山管見(こうやさんかんけん)」の冒頭部分が刻まれています。

歴史の舞台 文明のさまざま(Amazon)
司馬遼太郎が考えたこと〈10〉エッセイ 1979.4~1981.6 (新潮文庫)(Amazon)
参考:高野山奥の院に司馬遼太郎の碑建立(2009秋-No.38)(持明院「はすの会」)


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そがきょうだいと ちち かわづさぶろうのくようとう
曽我兄弟と父可津三郎の供養塔

曾我祐成(そがすけなり)と曾我時致(そがときむね)の兄弟と、その父、河津祐泰(かわづすけやす)の供養塔。
河津三郎祐泰とも。相撲の決まり手「かわづがけ」の語源となった人物です。

曾我兄弟の仇討ち(Wikipedia)


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五輪塔が崩れて転がっていますが、鎌倉時代後期のものだそうです(情報元[1])。

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ゆうづうねんぶつしゅう ほうみょうしょうにん くようとう
融通念仏宗 法明上人 供養塔

高野山で修行を行った融通念仏の僧、法明上人 の供養塔です。(※開祖ではありません)

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さつま しまづけ ぼしょ
薩摩 島津家墓所

島津家は奥の院内に計3ヶ所あり、そのうちの1箇所。
島津斉彬は島津家28代目です。

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おかやま いけだけ ぼしょ
岡山 池田家 墓所

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おかやま つやま もりけ ぼしょ
岡山 津山森家 墓所

森蘭丸とは兄弟にあたる森忠政(もりただまさ。森左近衛中将忠政)によって立藩されたのが津山藩。
元々、柵がありましたが今は無くなっています。
すぐとなりに「森中将忠政墓所」があります。

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もりちゅうじょう ただまさ ぼしょ
森中将 忠政 墓所

森左近衛中将忠政とも。森蘭丸とは兄弟です。

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ちょういし
町石 (19町)

この町石の寄進者の名前が残されているそうです。
町石については別のページにまとめました。
[ 町石 ]

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やまぐち もうりけ ぼしょ
山口 毛利家 墓所

周防、山口の毛利家。

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うご あきた さたけけ ぼしょ
羽後 秋田 佐竹家 墓所

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ありまけ ぼしょ
有馬家 墓所

筑後(福岡県)の有馬家の墓所。奥の院内に有馬豊氏の墓がもうひとつ別にあります。

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かぶしきがいしゃ とりしませいさくしょ
株式会社 酉島製作所

ポンプなどの製造を手掛ける酉島製作所の企業墓。大阪に本社があります。

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こうくうじゅんなんしゃのひ しんめいわこうぎょうかぶしきがいしゃ
航空殉難者之碑 新明和工業株式会社

兵庫県宝塚市に本社がある、輸送機器メーカーの新明和工業が建立。
中の橋大駐車場付近にあるロケットの形をした慰霊碑も同社のものです。
関連:新明和工業 慰霊碑

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かんとうだいしんさいとうじのとうきょうしちょう ながた ひでじろう ぼしょ
関東大震災当時の東京市長 永田秀次郎墓所

参考:永田秀次郎(Wikipedia)


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かんとうだいしんさい おうししゃくようとう
関東大震災横死者供養塔

関東大震災から7年後の1930年、当時の東京市長であった永田秀次郎(ながたひでじろう)が私財で建てたもの。
すぐとなりに「関東大震災当時の東京市長 永田秀次郎墓所」があります。

参考:高野山で関東大震災犠牲者の名簿タイル見つかる(WBS 和歌山放送 2014年3月7日)


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たいしんけいきょうりゅうこう ちゅうごくひ (けいきょうひ)
大秦景教流行中国碑 (景教碑)

景教とは、キリスト教の一派「ネストリウス派」の唐代の中国での呼び名。
景教碑は、wikipediaによると「明末に長安の崇聖寺の境内で発掘された古碑。ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などを刻す」碑とのことで、ここにあるものは模造碑(レプリカ)です。

参考:大秦景教流行中国碑(Wikipedia)


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しんらんしょうにん えんじょうかねざねこう かくしんに ぼしょ
親鸞上人圓證兼実公覺信尼墓所

親鸞の7人の子供のうちの末娘、覚信尼(かくしんに)の墓。
推測ですが、「圓證兼実」は九条兼実(くじょうかねざね)の法名である「円証」、読みは「えんじょうかねざねこう」あるいは「えんしょうかねざねこう」かと思います。

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くまがいなおざね・たいらのあつもり くようとう
熊谷直実・平敦盛 供養塔

熊谷蓮生(くまがいれんしょう)とも。蓮生は法名。
見つけづらい場所にあります。
2017年5月時点で、それと分かる案内標は建っていないようです。
一の橋の入口から歩いて、参道が2つに分かれる場所で右側を進み、ふたたび合流する手前。左側のやや高い位置にあります。
「親鸞上人圓證兼実公覺信尼墓所」の右隣にあります。

参考文献:「高野山ガイドブック」(総本山金剛峯寺 発行)

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むさし いわつき おおおかけぼしょ(おおかえちぜんのかみ)くようとう
武蔵 岩槻 大岡家(大岡越前守)供養塔

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いよ こうのみちなお ぼしょ
伊予 河野通直墓所

河野水軍で知られる河野氏。右側が河野通直の母親、左が河野通直の墓です(情報元[1])。

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さたけよししげ れいおく
佐竹義重 霊屋

1599年建造。常陸国(茨城県)の戦国大名。
見つけづらい場所にあります。
一の橋の入口から歩いて、2つに分かれた参道が合流する地点の、左側の少し奥まった場所にあります。

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しもつけ おおたわらけ ぼしょ
下野 大田原家 墓所

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